こどもと未来被災地レポート 気仙沼・仙台・女川・石巻編
今回、被災地における地域支援の活動をされている団体さんなどを通じて、子どもの環境やこどもを取り巻く社会環境に関しての状況を目にしてきた。金曜日にまず、気仙沼からスタート。横浜にも来ていただいたシャンティ国際ボランティア会の畠山さんと武田さんを訪ね。こどもを取り巻く社会状況をお話しいただいた。
3・11からもうすぐ3年を迎えるが、未だ津波被害の爪痕がのこる町の姿が見受けられた。
震災前に稼働していた気仙沼線
一方で復興への光として、前を向いて活動される方々も沢山いた。
気仙沼の漁業急ピッチな復興を遂げていた。多くの漁船におどきだった。
今回の気仙沼見学の1つである前浜コミュニティーセンター。もあなキッズと同じ、天然住宅さんが設計にかかわっている。公共施設の木質化としては素晴らしい例である。このような施設が被災地発信で広がっていけば良いと思っています。
もう1つの気仙沼の目的。こどもの遊び場。前回畠山さんたちが来られた時に被災地の子ども達の精神的なストレス環境をしり、自分の目で子ども達の状況をみようと思った。
気仙沼あそびーば
本当に仮設住宅は狭い。もともと広い家にすんでいた人ばかりなのでなおさら、その仮設住宅の間で遊ぶこども達、そんな中あそびーばの存在がこどもの居場所になっているようだ。
さらにもう1つ目にしたかったものが”防潮堤”だった。写真真ん中上のコンクリートが防潮堤。気仙沼の素晴らしい景観がコンクリートで埋め尽くされる。それだけでなく、自然環境を一気にかえる建物。本当にひとの命だけを最優先にして人は生き続けられるのか?それと町民の同意がないままに進められている地域もあるようだ。止めるのは今しかないと思う。
次に石巻到着。こちらも町の中のいたるところに爪痕がのこっているのが、印象的であった。
そこで、地域活動を行うISHINOMAKI2.0さんから現在の町の状況や新しいムーブメント、そしてこどものことも聞いてみた。ISHINOMAKI2.0さんんも同様にプレイパークを開いていた。企業などからの復興支援のお金は入っているが、それを子ども達のために使う上で、ハードよりもソフトのほうが重要であるが、まだ、日常的な対応はまだまだ必要な印象をうけた。長期的に子ども達と向き合う体制や人が本当に求められている。
次の訪問地は女川町。1000人近い人が犠牲となった町。その町の惨劇はやはり自分の目でみることでこの自然災害の大きさ感じた。
観光協会の職員さんから当時の状況を鮮明にお伝えいただいた。本当に悲しい。
ただ、希望もっている人たちの力強さも感じた。
その時の説明のときに、14歳のこどもが描いた絵がこれだ。
さみしさに満ち溢れた表現とこれからを見つめる子どもたちの姿が印象的ですね・・。虚しさに包まれました。
その他、の方に福祉施設を紹介いただいたり、町における状況も聞かせていただいたが本当に難しい問題が山住みの状態で3年を迎えていることもよくわかった。
女川のこどもの状況をしるため、NPOカタリバさんが運営するコラボスクールを訪問しました。小中学生の放課後の学習指導などをしながらこどもの居場所を提供している。むしろ子どもの居場所機能としては行政がやれない部分を支えている中枢機能であることが実態の中でわかった。素晴らしい活動だった。ただ、今後のことがとても気にもなったが、子どもたちにとっては彼らの活動と携わる大人の存在が何よりありがたかったことだろうか。
最後に訪れたのが、牡鹿半島に根っこにある”はまぐり堂”に伺った。11世帯の集落が津波で2世帯のみとなり、そこでカフェを運営している。子どもたちが集まる場として、カフェ以外にもキャンプ場や宿泊施設も建設中の素晴らしい活動。被災の悲しみを乗り越え、活動をつづけるオーナーから直接お話を伺えた。
沢山の人たちの協力のおかげで、少しずつ夢がかなっている。
築100年古民家をリノベーションしているカフェ。素晴らしい空間だった。また口コミなどからこの日も沢山の人がカフェに訪れていた。彼の思いが少しずつ実現している。ここを訪ねる子連れの家族も増えているようだ。ここにも1つの光があった。
僕に何ができるのかは明確にはならなかった。ただ、子どもたちの未来を考える人たちの輪が広がったことは間違えなくプラスとなった。これからも多くの人たちとの対話と地域における多様な実践をしている人たちとが繋がり、こどもの未来を少しでも明るいものにしていきたいと願います!!
3・11からもうすぐ3年を迎えるが、未だ津波被害の爪痕がのこる町の姿が見受けられた。
震災前に稼働していた気仙沼線
一方で復興への光として、前を向いて活動される方々も沢山いた。
気仙沼の漁業急ピッチな復興を遂げていた。多くの漁船におどきだった。
今回の気仙沼見学の1つである前浜コミュニティーセンター。もあなキッズと同じ、天然住宅さんが設計にかかわっている。公共施設の木質化としては素晴らしい例である。このような施設が被災地発信で広がっていけば良いと思っています。
もう1つの気仙沼の目的。こどもの遊び場。前回畠山さんたちが来られた時に被災地の子ども達の精神的なストレス環境をしり、自分の目で子ども達の状況をみようと思った。
気仙沼あそびーば
本当に仮設住宅は狭い。もともと広い家にすんでいた人ばかりなのでなおさら、その仮設住宅の間で遊ぶこども達、そんな中あそびーばの存在がこどもの居場所になっているようだ。
さらにもう1つ目にしたかったものが”防潮堤”だった。写真真ん中上のコンクリートが防潮堤。気仙沼の素晴らしい景観がコンクリートで埋め尽くされる。それだけでなく、自然環境を一気にかえる建物。本当にひとの命だけを最優先にして人は生き続けられるのか?それと町民の同意がないままに進められている地域もあるようだ。止めるのは今しかないと思う。
次に石巻到着。こちらも町の中のいたるところに爪痕がのこっているのが、印象的であった。
そこで、地域活動を行うISHINOMAKI2.0さんから現在の町の状況や新しいムーブメント、そしてこどものことも聞いてみた。ISHINOMAKI2.0さんんも同様にプレイパークを開いていた。企業などからの復興支援のお金は入っているが、それを子ども達のために使う上で、ハードよりもソフトのほうが重要であるが、まだ、日常的な対応はまだまだ必要な印象をうけた。長期的に子ども達と向き合う体制や人が本当に求められている。
次の訪問地は女川町。1000人近い人が犠牲となった町。その町の惨劇はやはり自分の目でみることでこの自然災害の大きさ感じた。
観光協会の職員さんから当時の状況を鮮明にお伝えいただいた。本当に悲しい。
ただ、希望もっている人たちの力強さも感じた。
その時の説明のときに、14歳のこどもが描いた絵がこれだ。
さみしさに満ち溢れた表現とこれからを見つめる子どもたちの姿が印象的ですね・・。虚しさに包まれました。
その他、の方に福祉施設を紹介いただいたり、町における状況も聞かせていただいたが本当に難しい問題が山住みの状態で3年を迎えていることもよくわかった。
女川のこどもの状況をしるため、NPOカタリバさんが運営するコラボスクールを訪問しました。小中学生の放課後の学習指導などをしながらこどもの居場所を提供している。むしろ子どもの居場所機能としては行政がやれない部分を支えている中枢機能であることが実態の中でわかった。素晴らしい活動だった。ただ、今後のことがとても気にもなったが、子どもたちにとっては彼らの活動と携わる大人の存在が何よりありがたかったことだろうか。
最後に訪れたのが、牡鹿半島に根っこにある”はまぐり堂”に伺った。11世帯の集落が津波で2世帯のみとなり、そこでカフェを運営している。子どもたちが集まる場として、カフェ以外にもキャンプ場や宿泊施設も建設中の素晴らしい活動。被災の悲しみを乗り越え、活動をつづけるオーナーから直接お話を伺えた。
沢山の人たちの協力のおかげで、少しずつ夢がかなっている。
築100年古民家をリノベーションしているカフェ。素晴らしい空間だった。また口コミなどからこの日も沢山の人がカフェに訪れていた。彼の思いが少しずつ実現している。ここを訪ねる子連れの家族も増えているようだ。ここにも1つの光があった。
僕に何ができるのかは明確にはならなかった。ただ、子どもたちの未来を考える人たちの輪が広がったことは間違えなくプラスとなった。これからも多くの人たちとの対話と地域における多様な実践をしている人たちとが繋がり、こどもの未来を少しでも明るいものにしていきたいと願います!!
この記事に対するコメント
はまぐり堂行かれたんですね。
僕も来週訪ねる予定です。キャンプしながら、ちょっとお手伝いをさせてもらう予定です。